タイトルについて

作品から得られる思いや感覚を観る側が自由に捉え、想像や共鳴するのが一番自然なアートの楽しみ方でしょう。何かに惑わされることなく自由に観るのであればタイトルには「無題」が合うのかもしれません。

しかし手法「Shigure=時雨」※1を用いた作品には、漢字ひと文字と英語を組み合わせたタイトルが付けられています。作品が持つイメージの欠片から作品を楽しむひとつとして参考にしていただけたらと思います。

作品と向き合っているときの作者の感覚「対自、創造、対話」に当てはまる言葉をタイトルとしていますが、感情や思いはひとつの言葉では表現しきれない面があり、またコトバの使い方ひとつで作品の意味が崩れてしまいます。しかし、ことばは言葉でしか考えることができない──。タイトル付けの作業に数ヶ月かかることもしばしば。ここにもKoji Yamamotoの作品との向き合い方が表れています。

言葉の持つ意味だけを考えるのではなく、言葉の響きや漢字が持つ字体の雰囲気を合わせて、よりその作品に当てはまる言葉を探しています。タイトルを読んだとき、声にしたとき、書かれた文字そのものを含めて表現されています。

漢字と英語の組み合わせとしているのは、より作品にフィットする言葉を表現するため。直訳の場合もありますが、漢字が内包しているイメージを英語から引き出し漢字の響きと英語の響きと両方を合わせています。

(※1)
「Shigure=時雨」は、1950年代に活躍したアメリカの画家Jackson Pollockに代表される”ドリッピング”或いは”アクション・ペインティング”に似たスタイルで、意図的な絵具の滴りや飛沫で描く手法。
画面を覆う数多の点が互いの因果性によって全体の構成を成すことで、各々の存在が必然であることを示すと共に、そうした在り様からの人間、社会、歴史に纏わる様々な事象、現象への想起を促し、それらに内在する波動を表現している。
着想のきっかけは、降り出した雨がアスファルトを濡らしてゆく様子に閃きを覚え、そのとき聴いていたポストロックやエレクトロニカ、ノイズ、シューゲイザーなどのロック・ミュージックとの重なりから制作衝動が生まれた。例えば、音像やリズム、言葉、感情といった様々なインスピレーションの粒が視覚化してゆくような感覚。
「Shigure=時雨」という呼び名は、絵具がカンヴァスを覆ってゆく様子やその際に発する音に由来している。